不安と暇の関係?! 自由な時間が多いほど不安や心配になりがちな件
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あああーーー暇な時間が欲しい!!
こんな仕事やってられっかよ!早く終わってくれぇぇ!
と喉から手が出るほど、”暇”を求めてませんか?求めてますよねっ僕もです。
いざ暇になったらで・・「あーあつまらんのぅ」「なにしたらいいんだろっか」「人生ってつまらんもんだのぅ」「アーーーッアっ」そんな感じなってませんか?!
なりますよね〜〜〜〜〜〜〜。
これはふ・つ・うなんです
暇(遊ばせる時間)があると、ヒトはこれでいいのか・・・?と考える動物なんです。
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心配の正体はいったい・・・?!
人はだれかに求められて、それに答えようとする義務的なハートが宿ってます
難しい言葉では、「社会的動物」
暇=何もしない時間があると、この誰かのための時間が欠如します。
本能に宿る正義感が、この暇をつついてるわけで、
「おい、お前、このままでいいのか?!」と、不安や心配と知覚するんです。
この状態に、心配と不安は生まれちゃいます。
昔はみんなが畑を耕して、生きることがすべてで、それが生活でした。
しかし今は、全然そんなことないじゃないですか〜〜〜!?
機械化されてほとんど自動になっちゃって、仕事のオンとオフができました。
必然的に、やることも無い時間が増えるわけですー
そんな”何もしない状態”に生まれるものが、心配という『空想の産物』。
何かのために体を動かしている状態では、不安・心配を考えません。
例えば、「あ〜暇やな〜これからどうしおー」なんて考えながらテニスをやる人なんていないでしょう!「あ〜つまらんな〜将来どうするか」なんて考えながら、トマト栽培する人なんていないでしょう!
これも、遊ばせる自由な時間=暇が不安をうみだすわけです。
生活の為に必要な時間以外が増えた、現代ならではの『病気』とも言えそうです。
自由という名の不自由!?
さぁ、哲学っぽくなってきましたよ〜!
自由という名の不自由の話です。
え?自由は自由やんけ?!って思ったかたはこのページ閉じましょう嘘です。
働き方から結婚まで、ライフイベントの自由。
今の時代は、何から何までも自由ですようね。やりたいことに挑戦できる。
『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』
の言葉のように、自分の意志でアクションを起こすことができます。
昔はどうだったか?!?!?
江戸時代は『士農工商』で、生まれた家系で職業は決まってましたよね。
武士の家に生まれたら武士に、商売人の家なら商売人に。
百姓の家に生まれたらコメ農家に。
やるべきことが定まっていたんです。
しかし、自由である現代は選択肢の無限爆発を見せます。
「高校卒業したあとはどうしよう〜〜〜」「転職すべきか迷う〜〜〜」「一生この仕事を続けてもいいのか〜〜〜」しまいには、「やりたいことってなんだろう〜〜〜」と。
昔と比べるとあまりにも自由のきく運転ができるから、その行くべき道の路頭に迷う。
自由がゆえの不自由の登場です。
そんな時代にどうすればいいの?
時間を忘れるほどにハマる何かを掴め!
それを手にする自由があるわけです。
魚釣りでも、ブログでも、ものづくりでも、プログラミングでも、ナンパでも、語学でも、スポーツでも、ネトゲでもなんでもいいんです。
時間を忘れる=遊ばせる時間を作らない。
これが、暇からくる不安を解消予防するための戦略でしょう!
アリストテレスの「ほどほど」について
あのギリシャ哲学の巨匠の、アリストテレスの言葉、『中庸』(ほどほどに)を頭の隅に置くといいかも。
忙しすぎたらそれはそれで「もういややぁぁ!」
暇すぎたらそれはそれで、「どうすりゃいいんやぁぁ!」
この間に位置する「中庸」=ほどほど忙しく、ほどほど暇。
そんな感覚を探すのもありです!
2000年以上も受け継がれてる先人の知恵。
長い間受け継がれる価値のあるアイディアということ。
『幸せってなんぞや?!?!』と追求した巨人の知恵を借りてみてはいかがでしょうか。人の考えるくせの本質を突いているのです!!