世界の半分以上もの富・資産を持つ者、マンサ・ムーサ
そんな彼は、さぞ幸せであったに違いない。いや本当に、幸せであったのであろうか
そんな、素朴なを検討してみようじゃないかという内容でお送りしていきます
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マンサ・ムーサの超概略!
・サハラ砂漠、マリ王国(黄金の国)の第10代国王(1312年-1337)
・人類史上最高額の富を保有(ビルゲイツを凌ぐ)、現在の4000億ドルとされる
・彼が生きた時代は、日本の室町時代ころ。想像もできない。
قصة الملك مانسا موسى أغنى رجل في تاريخ الأرض - شبكة ابو نواف:引用(人類史上の億万長者、マンサ・ムーサの物語;キッサトゥ・アル=マリク・マーンサームーサー・アグナー・ラジュル・フィー・ターリーフ・アル=アルド)
さあ、地球の富の半分以上をも持っていたとされる彼であるが、
どんな業績とか、どんな行動とか、毎日を送っていたのか見てみよう
尚今回は、お金で幸せを買えるのか?買えないのか?についての、
人類哲学の根本的な領域に片足を入れる
そんな彼の最も揺るがせた偉業という名の異業はこの事件だろう。
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エジプト(当時のマムルーク朝)の首都カイロの金価格大暴落事件
イスラーム国家の国王、マンサ・ムーサは敬虔なイスラーム教徒であったことが知られている
イスラームでは、聖地に巡礼することが、ひとりの教徒としての使命!
彼は、故郷のマリ王国から、エジプトを経由して、聖地サウジアラビアのメッカへと巡礼の旅に出る
もちろん、その旅の道中には、数千もの戦士たち、奴隷たち、商人たちがボディーガードや従者として、完全無敵状態
怖いものなんてありゃしない、天上天下唯我独尊
滝のように溢れるマリ王国の金をポロっポロ、ポロっポロとサハラ砂漠に落としてく
その道中、エジプト(ファーティマ朝)の首都カイロで、彼が振る舞いが最骨頂に
カイロでは貧しい人たちがたくさんいた。それを知った彼は、この絵のごとく、あれよあれよと金を、貧者に分け与える(一方的に)
ばら撒くとどうなるか
いや、ばら撒きすぎるとどうなるか
エジプトのカイロの金の持っていた価値は、瞬く間に暴落一直線
ただ一人の人物によって、カイロの金のインフレを起こしたということなのだ!
もちろん、イスラームの教えでは、貧しい者を救うことは正義とされる
ただしかし、この背景の彼はすでに欲しいものを全てものにしていたことがやはり大きい
数千人以上の従う者に、ありとあらゆる雑用をさせ、金にも、女にも、酒にも、全くもって困ることを知らず
黄金の王、マンサ・ムーサ。
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彼は幸せだったの?
やりたいこと、欲しいもの、何でも手に入る。つまり幸せであるに違いない!
しかし、史料には『いつ裏切られ、殺さてしまうか、毎日が怖い。』
という記述もあったりする
お金持ちの感覚が一定のラインを越えると、”失うこと”や”襲われること”
それ自体が恐怖とな理、プレッシャーとなり、精神安定剤としての財産が、全くもって逆の役割をになってしまったことが推測できるかもしれない
現代の莫大な富を獲得した企業の経営者が漠然と抱える悩みに通ずるところもあろう
今と同じ感覚で、”幸せ”を比べるのは難しいかもしれない
何もかも違う世界。スマートフォンも無ければ、情報も限られている
ゲームセンターもなければ、アニメも、カラオケも、無い
しかし、環境は違えど、幸せを感じ取る素材は違えど、人間の脳みそ的に幸せを感じるレベルや幸福度合いは、太古の昔から変わらないのだ。
リピートするが、欲しいもの、それら全てを手にする状態になってしまうと...
それを失ったらどうしようか、そんな不安が付きまとってくる
人類の普遍的な法則的なそれであると思う。
いったい、マンサ・ムーサから学べる幸せっていったいなんだろうか。
結局、人間は欲しいものに対して、欲しいものであるという状態を残しつつ、どのように欲しいものにアプローチして、戦略を組み立て実行するのか
そんなプロセスが一番燃え上がる
そこでの一喜一憂、試行錯誤を繰り返しながら、最終的には、その欲しいものを獲得する
おそらくこの過程にこそ、幸せに気づく何かが眠っているのかもしれないと、マンサムーサは教えてくれた