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Share The World -知の海へ-

大学院生が通説ライフハックに独自の物語を展開するブログ!文体・内容・表現・論理の『一貫性』からの逸脱世界【2016/12/31:詳細プロフィール公開and顔出し予定】しばし文字のみの旅路にお付き合いください。

脱テレビ習慣で感じた3つの変化【5ヶ月目】

今年の4月からテレビを一切つけることなくすでに5ヶ月が経ちました。

 

主に私の情報源は、Youtubeと、ニュース系アプリなどであるのですが、テレビをすっかり観なくなり、今の情報収集の方法にシフトしたことによる変化について書いていきます。

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情報の選択ができるようになった。

テレビを家で観ていたときは、とりあえずつける。

 

これにより、放映される内容を自分の意思とは関係なく、受動的にうけとっていたような気がします。朝はニュースなど、帰宅後の夕方から夜にかけてはバラエティ番組やドラマやニュースなどを、熱烈にテレビを観たい欲を持ち合わせてはいないものの、”とりあえず観ておく、より正確には、とりあえずつけておく”といった日常でした。

 

一方で、”とりあえずつけておく”の選択肢を無くした現在、情報の選択の自由を格段に享受できるようになりました。例えば、朝に天気予報と政治のニュースをチェックしたければ、自分自身でYoutubeなり、ニュースアプリなどで検索し、”主体的”に欲しい情報のみを得られることとなります。

 

現代は、余程、公開に制限がかけられていない限り、インターネットを経由することで、ほとんどすべての得たい情報をチェックすることが可能な時代です。

 

脱テレビが続いたことで、膨大に溢れる情報が精錬され、

真に今必要としている情報のみを選びとる自由を得ることができました。

 

時間感覚が長くなった。

バラエティ番組などを”とりあえず”つけ、眺めていた時代には、その時点では気づきませんでしたが、知らず知らずのうちに1時間があっという間に過ぎていました。文字、音、映像の魔術をフルに使ったテレビは、僕を縛りつづける効果があります(もちろん良い意味で)。同時に、その時間をまるごとテレビを見続けて過ごさなければなりません。

 

”とりあえず”テレビを眺めていた時間を、例えば、友人と散歩したり、音楽を聴きながらランニングしたりなど、なによりもその時間帯の気分で1番したかったこと、すべきだったことに時間を回せるようになりました。

 

これも、テレビを無意識に観ていた時間の錯覚からの脱出効果であると思われますし、能動的に、費やしたい対象に、時間を有意義に配分できるようになりました。

 

情報の偏りが激しくなった。

テレビを観なくなり、情報選択の自由が生まれた。それが意味するのは自身の情報のストックに偏りが生まれてしまうことです。

 

例えば、本来、テレビの朝の芸能ニュースを観ることで、芸能人ネタ関連にもある程度の知識を持てていたかと思います。しかし、その人が、芸能人ネタに一切関心を寄せていなかったのであれば、必然的にテレビ無しではそれらの情報を受け取らないことを意味します。

 

 

それが故に、友人たちや同僚たちとの会話の中で、芸能人関連の話題があがると、お察し頂ける通り、まるでその話題についてゆけないリスクが発生してしまうのです。これがまさに、テレビを観ることをやめたことに起因する情報の偏りの発揮された瞬間であるのです。

 

 

こうした状況を避けたいのであれば、意識して関心の範囲外のニュースや情報をチェックする習慣もつけたほうがよさそうですね。(だったらテレビを観たほうがまし?)

 

 

おわりに。

脱テレビを5ヶ月間ほど続けたことで、上記の3つの変化を自分の中で感じ取ることができました。時間と自由の幅が効く分、情報の偏りが生まれてしまうのは、必然的な運命とでもいえましょうか。しかし、今までのところ、脱テレビによる生活の中の不便に直面することは一切ありませんでした。

 

 

脱テレビ生活をオススメする、しないという判断は自分では下しませんが、

ひとまず、脱テレビ5ヶ月のありのままの現状報告をさせていただきました。

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