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Share The World -知の海へ-

大学院生が通説ライフハックに独自の物語を展開するブログ!文体・内容・表現・論理の『一貫性』からの逸脱世界【2016/12/31:詳細プロフィール公開and顔出し予定】しばし文字のみの旅路にお付き合いください。

【なにを見るかよりどう見るか】感性を磨くことのたいせつさ

友達たちと会話する中で、『感性』の豊な人と乏しい人では、ひとつのものの見方、感じ方が違ってくるのは当然のこと、特に、海外旅行、海外留学に赴いたときに、その差は歴然と開くだろうとちょっとした話題となったお話です。

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そもそも・・『感性』ってどういうことをいうのでしょうか。

 

★印象を受け入れる能力。感受性や、感覚に伴う感情・衝動や欲望★

 

↑↑は、辞書を用いての『感性』の定義でありますが、さらに深く入ってゆけば、”カント哲学”では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識を与える能力・・・

 

・・・

・・・・・・

いやいや!シンプルに考えましょうよ!

 

僕の思う『感性』とは、ひとつのもの目の当たりにしたときに、

 

その対象ひとつのものから、あらゆる経験、記憶、想像、感情に結び付け、それらを言葉や文字にして表現できる能力であり他人と共有できるの能力であると思っております。

 

 

ただ、『大学生であるならば海外旅行へ行くべきだ』、ゆえに、海外旅行へ行くというのはいささかどうなのか?と疑問を呈して物申した瞬間であるのですが・・・

 

 

実際に、そうであるとおもうのです。

 

 

結論、海外の新しい非現実を目の当たりにして、すごーい、きれーい。でかーい。と思うことはもちろん容易いことであり、”どう見るか、どう感じるか”の磨かれた豊かな感性をその当人が備えているかどうかによって、近くの公園のブランコを見るだけであっても、海外旅行に引けを取らない、強い感動を得ることができるであろうということなんです。逆もしかりで、豊かな感性が、海外旅行の感動レベルをさらに高めてくれることでしょう。

 

 

一言に凝縮させるならば、『なにを見るかより、どう見るか』

これに尽きると思うのです。

 

 

どうしても、幼少期から大人になるにしたがって感性が薄れてゆくのは、必然的な現象であり。いわゆる既知、すでに知っているものごとが年齢を重ねるごとに、そのエリアが広がってゆくわけですから、斬新な印象を脳裏に焼き付けることはなかなかむずかしいですよね。

 

 

だからこそ、海外へ行くんだろ?!と言い返しはもちろんあります。どのような情報であれどこでもいつでも手に入れることが可能となった今、海外の現地情報はすでに現地の人々よりも知ることも同時に可能であり(もちろんリットではあります)、それらが、初見のインパクトの強度も下げてしまっていることも同時に否めません。

 

 

だから今こそ、感性を磨くにはどうするか?磨いた感性をどう応用するか?感性を磨くとはいったいなんだ?感性のあるものの見方はいったいなんなんだ?ともういちど考えることは大切だなあ、という思い立つ経緯から”感性の磨き方”について書かせてもらいます。(いささか抽象的な話になってきますが、お付き合いください!)

 

感性をどうやって磨くか・・

 

▼どうして、なぜ、なにを思って作品がつくられたのか?をアタマ入れ芸術作品に触れる!

 

映画や文学や音楽や絵画など、このような芸術作品には必ず、”伝えたいもの”のメッセージが作者によって、込められております。直接的な言葉ではないだけであって、作者の作品に対する想いはこうした別のカタチにおいて、残されているのです。

 

そうした、芸術作品を目の当たりにして、作者はどうして、なぜ、この作品を作り上げて、なにを人々に言いたかったのだろう??と自分自身に聞いてみてもいいですし、友達家族同士で感想を語り合うこと、そうすることで、メッセージ性を汲み取る力、つまりは、想像力の富んだ感性を磨くひとつトレーニングとなります。

 

また、作品を通して、楽しい感情、悲しい感情、憤りの感情、憂鬱な感情、爽快な感情・・・などなど、どのような感情が引き出されたのかを自分に聞いてみましょう。

 

 

それは、自分がその作品に対して”何を想った”かが現れる1番わかりやすい時でありますよね!

 

 

これらは、感性磨きの基本的なトレーニングであると思っているのですが、

 

さらに冒頭のように、日常の風景へとこの感性トレーニングを応用させてみると、陳腐な日常を想像力や想像力に富んだ、新たな世界観に浸れるのです。

 

 

例えば、”まいにちの川沿いの土手”を対象にしてみても、幅広い想像をきかせてみれば、日常の中にも海外旅行同等の心的状況に自分を浸し込むことは可能ではないでしょうか?

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黄金の街プラハにおいて、プラハ城や中世の城下町の景色や地元のマーケットを見学し、中世の人々がどのような営みをしていたのかを想像するという想像のプロセスと、

 

この川沿いの昔の姿を思い浮かべ、その当時の僕のおじいちゃん世代の人々はここへ、女の子を蛍デートへ誘っていたのかな?と当時の川沿いの景色の様相を想像してみる【感性】のプロセスの間にうまれる心的興奮レベルはおなじものであるはずなんです!

 

だからこそ、

 

【なにを見るかよりどう見るか】を土台に、豊かな感性を鍛えること、備えることに意味を見出すのであります。いつどこで、感性を発揮できるかは、誰しもわかりませんが、あらゆる社会のものごと通用すること、精神的余裕をもてるようになることは言うまでもありません。(胡散臭い気もしますが)流れるような毎日に感謝できるようになることも本当です。

 

 

ただただ毎日消費されるだけのニュースに感性を働かせてみるとおもしろいのではないでしょうか?

 

それでは、今日はここまで!さよーなら

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