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Share The World -知の海へ-

大学院生が通説ライフハックに独自の物語を展開するブログ!文体・内容・表現・論理の『一貫性』からの逸脱世界【2016/12/31:詳細プロフィール公開and顔出し予定】しばし文字のみの旅路にお付き合いください。

少年期にやっておきたい【秘密基地作り】で培った4つの能力たち

ふと地元に帰ると、よく遊んでいた公園の道を通るたびに、

『昔はよくここで遊んだな~』と郷愁に浸るような年頃にまで、成熟しました。うむ。

 

 

あれほどにまで、時間を気にすることなく外を走り回る底なしの体力を持っていた頃。

 

あれほどまでに、泥まみれになり、時々ケガをするなり、好奇心を爆発させていた頃。

 

あれほどまでに、巨大落とし穴を作るなり、奇形かまくらを作るなり、奇抜な創造性を発揮していた頃。

 

 

そんなすべてが懐かしい想い出で、ふとした時にフラッシュバックするんですよね。

今こんな姿となって、何を伝えて残せるかを考えたら・・・・

 

 

そう。少年時代に、【体力・好奇心・創造性・協調性】の育みに最も生かされたであろう最強の遊び、『秘密基地作り』の魅力とススメについて、懐かしい想い出にひたりながら、しっぽり書いてゆこうとおもいますね。

 

『秘密基地』とはそもそも・・・?

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具体的な定義は、おそらく存在しないのかと思われますが、無理やり押し込みます。

 

秘密基地とは、少年の少年による少年のための少年のみぞ知るものであり、山や海や川、木、岩、すべての自然の対象と一体となり、彼の体力や想像性と創造性をフルに使って、0から創りだす、秘密の隠れ家のことである。

 

 

もちろん、即興で思いついた”オレの秘密基地”定義です。

 

では、ひとつずつ【体力】【好奇心】【創造性】【協調性】の要素がどのように育まれてゆくのかをみてゆきますっ!

 

 

①体力の増強

初期のスキルに木登りは前提です。

それは冗談だとしても、木や岩を運び、野を開拓してゆく営みには体力は必要なものですし、開拓してゆく日々ごとに増強されてゆくのです。

 

夢中になりながらも、汗水を流して、秘密基地の完成に刻々と近づく。最終的には、強靭な肉体とこれからの思春期や青年期にかけて、大事になってくる、基礎体力の心配は全くなくなります!

 

あ・・入ってはいけないところはダメ。あと、ケガだけには気をつけましょう絶対に☆

 

 

②好奇心の育成

秘密基地の定義でみたとおり、自然を材料として0から生み出すということは、フルにアタマを働かせて、試行錯誤を繰り返すことになります。

 

こことここをつなぎ合わせたらカッコイイ!、だとか、ここにロープをつないできたら、こことそこを行き来できる!など、無限大に、少年の工夫の実現のサポートとして秘密基地はあるのだと、振り返りますね!

 

これも、大人になっても、試行錯誤の面から絶大な支えとなることまちがいなしです!

 

 

③創造性

上の好奇心の育みと似たような部分はあるかもしれないですが、好奇心が行動に移すための原動力であるとするならば、むしろ逆で、どことどこを改良するのか、なにとなにをもってきて、どのように組み立てるのかといったアイデアの誕生こそ、創造性の育みではないでしょうか!

 

ちがった言い方をするならば独創性も育めるはずですよね。

独創性と創造性の交わりが最高潮に達した時、発明者として大成するでしょう。

 

④協調性

秘密基地作りは友達と協力プレイをするから楽しいんです。0から友達と自分たちだけのオンリーワンな基地を作り上げるだけあって、互いの協力無しにはできあがりません。(当時は全く気にしていませんでしたが)。友達にひとつ助けをお願いして、ありがとうと言う、素朴なやりとりですら十分な協調性ですし、大人になってからも大事な大事なスキルです。

 

そう、0からみんなで何かを作り上げた経験に、秘密基地を就活では語るべき。

 

 

秘密基地で培ったこれら人間の基礎的な能力たちは、いつ、どこで、活躍の場が訪れるかはわかりません。もしかしたら、小学校の図工の時間に秘密基地で培った創造性を発揮して、奇抜で芸術的な作品を作れるかもしれませんし、就活の場でのグループワークで協調性(みんなの気を配れる、目を配れる)に繋がるかもしれません。

 

 

それは、秘密基地を作ったもののみが、結果論としてわかるもの。

 

 

PS:当時、ただ自分だけのスミカがほすぃ。そんな中二病に似る病気の現れにしかすぎなかったことを最後に、報告致します。はちゃめちゃな記事になりましたこと、どうぞお許しください。では!

脱テレビ習慣で感じた3つの変化【5ヶ月目】

今年の4月からテレビを一切つけることなくすでに5ヶ月が経ちました。

 

主に私の情報源は、Youtubeと、ニュース系アプリなどであるのですが、テレビをすっかり観なくなり、今の情報収集の方法にシフトしたことによる変化について書いていきます。

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情報の選択ができるようになった。

テレビを家で観ていたときは、とりあえずつける。

 

これにより、放映される内容を自分の意思とは関係なく、受動的にうけとっていたような気がします。朝はニュースなど、帰宅後の夕方から夜にかけてはバラエティ番組やドラマやニュースなどを、熱烈にテレビを観たい欲を持ち合わせてはいないものの、”とりあえず観ておく、より正確には、とりあえずつけておく”といった日常でした。

 

一方で、”とりあえずつけておく”の選択肢を無くした現在、情報の選択の自由を格段に享受できるようになりました。例えば、朝に天気予報と政治のニュースをチェックしたければ、自分自身でYoutubeなり、ニュースアプリなどで検索し、”主体的”に欲しい情報のみを得られることとなります。

 

現代は、余程、公開に制限がかけられていない限り、インターネットを経由することで、ほとんどすべての得たい情報をチェックすることが可能な時代です。

 

脱テレビが続いたことで、膨大に溢れる情報が精錬され、

真に今必要としている情報のみを選びとる自由を得ることができました。

 

時間感覚が長くなった。

バラエティ番組などを”とりあえず”つけ、眺めていた時代には、その時点では気づきませんでしたが、知らず知らずのうちに1時間があっという間に過ぎていました。文字、音、映像の魔術をフルに使ったテレビは、僕を縛りつづける効果があります(もちろん良い意味で)。同時に、その時間をまるごとテレビを見続けて過ごさなければなりません。

 

”とりあえず”テレビを眺めていた時間を、例えば、友人と散歩したり、音楽を聴きながらランニングしたりなど、なによりもその時間帯の気分で1番したかったこと、すべきだったことに時間を回せるようになりました。

 

これも、テレビを無意識に観ていた時間の錯覚からの脱出効果であると思われますし、能動的に、費やしたい対象に、時間を有意義に配分できるようになりました。

 

情報の偏りが激しくなった。

テレビを観なくなり、情報選択の自由が生まれた。それが意味するのは自身の情報のストックに偏りが生まれてしまうことです。

 

例えば、本来、テレビの朝の芸能ニュースを観ることで、芸能人ネタ関連にもある程度の知識を持てていたかと思います。しかし、その人が、芸能人ネタに一切関心を寄せていなかったのであれば、必然的にテレビ無しではそれらの情報を受け取らないことを意味します。

 

 

それが故に、友人たちや同僚たちとの会話の中で、芸能人関連の話題があがると、お察し頂ける通り、まるでその話題についてゆけないリスクが発生してしまうのです。これがまさに、テレビを観ることをやめたことに起因する情報の偏りの発揮された瞬間であるのです。

 

 

こうした状況を避けたいのであれば、意識して関心の範囲外のニュースや情報をチェックする習慣もつけたほうがよさそうですね。(だったらテレビを観たほうがまし?)

 

 

おわりに。

脱テレビを5ヶ月間ほど続けたことで、上記の3つの変化を自分の中で感じ取ることができました。時間と自由の幅が効く分、情報の偏りが生まれてしまうのは、必然的な運命とでもいえましょうか。しかし、今までのところ、脱テレビによる生活の中の不便に直面することは一切ありませんでした。

 

 

脱テレビ生活をオススメする、しないという判断は自分では下しませんが、

ひとまず、脱テレビ5ヶ月のありのままの現状報告をさせていただきました。

アラブ・イスラーム地域伝統の嗜好品【シーシャ(水タバコ)】を楽しむために

地域、旅行ハック

シーシャ(شيشة)または、水タバコをご存知ですか??

 

普通のタバコとはまったく吸い方も、吸い心地も違い(タバコは未経験ですが)、いかにもエスニック感の漂うもので、日本では一部のもの好きのみぞ知る存在ではないかと思います。

 

シーシャとはそもそもなんなのか?!

シーシャの研究については、まだまだ解明されるべき余地は多くあり、議論もさまざまにわかれているようです。しかし、古代エジプトに起源を持つものとして、イスラーム圏で発展、発達して、今でもなお、当地域において嗜好品として親しまれている伝統的な嗜好アイテムのひとつです。

 

現在ではイラン、トルコやエジプトなどの人の集まるカフェやレストランにはシーシャコーナーがあたりまえのように設置してあり、それを囲いながら毎日の雑談や、愚痴話や恋ばなを交わしているのです!

 

キセルやパイプなどの親戚と考えてもらえるとわかりやすいですね!ただ、どうしても、まだまだ日本ではあまり知名度は高くない模様で、”怪しいモノ”とレッテルを貼らてしまいがちかもしれませんね。実際そんなことないのにっ!!

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参照:نارجيلة - ويكيبيديا، الموسوعة الحرة

 

タバコとのちがいとは・・?

肝心なタバコとの違いについて説明してゆきます。

 

①独特な吸い方!

 

直接火をつけ、直接吸うタバコとは違い、シーシャ(水タバコ)の壺の上部で、煙を炭で燃やします。次に、パイプの役目を果たすホースをもちいて、壺の中の水を通して、煙を吸い込んで、すべてを吐き出すという吸い方になります。

 

少しずつでありますが、シーシャ(水タバコ)の専門店も日本に展開しつつあるようですね。はじめは、吸い方がわからないという人がもちろんほとんど!オシャレな専門店に一度訪れてみて、スタッフの方から教わいながら挑戦してみるとよいかもしれませんね!

 

☆オススメのシーシャ(水タバコ)カフェです☆

「初めてなので、いちから教えてください」と堂々と言えました!!

www.shisha-shibuya.com

 

 

②バラエティー豊富なフレーバー

 

思い浮かぶ順にあげてゆくなら、

グレープ、アップル、チョコレートシナモンドラゴンフルーツカプチーノオレンジエナジードリンク・・・グァバ・・ジャスミン・・・・メロン・・・ブルーベリー・・などなどなど。

 

正直、メロンとか・・うぁ・・と、ひいてしまいがちでありますが、

実際のフレーバーの再現具合にはアッパレで、メロンの香りが鼻を突き抜けます。

 

さらに、ブレンドをしてフレーバーとフレーバーを混ぜることも可能ですので、自分だけの味を発見するなど、好みのフレーバーを追求するたのしみも生まれますね!

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出典:https://sjposters.wordpress.com/2013/05/15/emirates-to-introduce-shisha-lounges-onboard-a380-fleet/

 

 

③健康への被害の違いは?!

 

ここが1番の肝で、絶対に確認しておかなければならない事項ですよね。

 

結論から、シーシャ(水タバコ)の健康への影響は善なのか悪なのか、またどのような病気を引き起こして、その病気との因果関係があるのか、まだまだ明らかになっていないことは多いようです。

 

タバコのタールやニコチンの含有量とくらべると、シーシャ(水タバコ)の場合は、水を通すので、タールは0%、ニコチンは0,005%と、圧倒的な低さを誇っているのです。

 

タバコの『ニコチン中毒』のように、中毒性のある嗜好品ではないこともおおきな違いのひとつですね。ハマってしまうことと中毒は個人的にベツモノであると信じたいです。

 

また、毎日のようにシーシャ(水タバコ)を仲間たちと吸いながらの80歳越えのアラブ地域の長寿たちはたくさんおられ、むしろシーシャのおかげで気分が和らいだり、コミュニケーションのツールとなったりと、健康へのプラス効果もあるようです。

 

 

しかし一方で、このようなまとめ記事も存在するように、タバコと比べ、4~5倍の量の一酸化炭素も含まれており、さらには、1回のシーシャでタバコの100本分の煙の量を吸うことにもなるのです。

matome.naver.jp

 

シーシャはまさしく、異文化を味わうための絶好の手段であることは言うまでもありまん。特に、シーシャの専門店を訪れてみると、エキゾチックな雰囲気につつまれることとなり、まるで荒涼とした砂漠の世界や、中東の賑わうテラスカフェや、悠久のエジプトの歴史の中といった別世界を感じることまちがいなしです。

 

 

ただし、大事なことなのでもういちど・・!

 

健康被害については、議論はめちゃめちゃに別れているのが現状です。

自己責任という言葉はあまり好みではありませんが、シーシャを体験しようとする前には、自分自身でもよく情報や体調をたしかめて、専門店の方と相談することをオススメいたします!

 

 

(・・なんだかんだで、吸わないこと。これが1番の健康維持な気がします。)

 

PS:☆上級編☆

ある程度慣れたら通販でシーシャ道具一式を通販にて購入することが可能なのです。

 

インテリアとしても異国情緒漂わせるこのシーシャの壺はお洒落かなと思う節もあったり、家に設置してしまえばそれこそ健康被害があるとしたらそれまっしぐらかなと思う節もあったりと、結局買わずじまいの現状です・・(汗)

 

アラビア語(エジプト)と日本語の通販サイトを2つ紹介してみます!

www.jumia.com.eg

www.shisha.jp

オーガニック野菜・有機野菜を食べることのメリットたちと思うこと。

グルメハック

有機野菜・オーガニック野菜と聞くとみなさんはどのような野菜を想像しますでしょうか?

 

東京の表参道や青山のランチプレートを悠々と食べるキラキラ女子を思い浮かべる姿であったり、あきらかに、本来の生命力を放った野菜本来の色鮮やかな姿だったりを想像するでしょうか。

 

オーガニック野菜とは・・??

 

実はオーガニック(日本語では”有機”)の絶対的な基準はもうけられていないまま、ようやく『有機JASマーク』という有機野菜の証明となるものが2001年に整いました。

 

このマークが意味する野菜とは・・

 

⇒化学肥料、農薬を使わない期間が3年以上の土壌で育て上げられた野菜。

 

⇒検査員などの第三者からも認められた野菜。

 

こうした人為的な農薬や化学肥料に頼らずに、野菜本来のもつエネルギーと、太陽や土や水すべての自然の生命力を活かして栽培された野菜のことであるのです。

 

個人的に、以下の写真たちにみられるように、野菜たち本来のカラーを見るだけでも活力を分けてもらえるような気もしますし、こうして野菜たちが集まっていると、まさに”野菜。それぞれの野菜はそれぞれの色を放ち、全体で、すべての野菜たちで色が調和している姿に、生命力を受け取れるような気がします・・!

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出典:http://lettre-du-nature.com/archives/1318

オーガニック野菜を食べることでのメリットたち

そんな良いイメージのあるオーガニック野菜たちの、具体的なメリットはいったいそもそもなんだったのでしょうか。もういちど、メリットたちをあらいだしてみようとおもいます。

 

  • 濃い味、美味い味、野菜の味

こうした味が生まれるのも、化学肥料の使われていない栄養価の高い土壌で育て上げられていること。また、収穫時期を早めるため人為的な操作が施されていなく、旬の時期に食べられていること。そして、水の含有量も少なく、天然の糖分が凝縮されていること。

 

どうしても日本では、有機野菜のシェアが圧倒的に少なく、また、手間暇をかけての栽培のため人件費に他の野菜と比べると多くかかってしまいます。しかし、”真”の野菜の味をたのしめることができるのは、有機野菜であるのです!

 

なかなか豆腐を克服できなかった人が、料亭の豆腐を食べて豆腐の美味しさに気づいて克服できたように、有機野菜を食べてみて、ニンジンやトマトを克服できて、日常的にも問題なく食べられるようになった!そんな方たちは多くみられるようです!

 

  • 他の野菜と比べての”比較的”な安全性!

オーガニック野菜の記事の中で、最も読者の方に意識してもらいたいこと!それは、”比較的”な安全性です。たしかに、通常のスーパーの店頭に並ぶ野菜よりは、放射線物質や遺伝子組み換えに関わってくる野菜ではないのは、安心でき、体にも優しいのです。それらはオーガニック野菜を食べるにあたっての1番の利点かもれません!

 

しかし、”完全無農薬”であるかどうか問われたら”否”であるのです・・

3年間は、農薬無使用の畑で育てることが原則でありますが、例外に安全性のたしかめられた21種類の農薬の使用は国によって認められてるのでした!

 

つまり、放射線物質、遺伝子組み換えの野菜でない、ということは安全には変わりません。が、実質、農薬は使われている可能性は高いので、”比較的”に安全でありますが、”絶対的”に安全であるかは、検討の余地がおおいにありそうです。

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出典:http://weheartit.com/

 

オーガニックブームには変わりない!?

自然と一緒になって、自然の流れや恵みにしたがって、野菜を栽培してゆく行いは、これからもますます、人間文明にとって必要なものとなってくるでしょう。

 

たとえどんなに現代文明が便利なもになろうとも、たとえどんなに便利な商品や発明が生まれたとしても、わたしたちの健康思考、健康維持が誰にとってのニーズであることは不変的であるはずなのです。

 

そんなブームに拍車をかけるべくして、たくさんのオーガニック野菜を全面に出すレストランやカフェなどがみられますよね。特に、ビュッフェスタイルで、生のオーガニック野菜をふんだんに食べられるレストランは一度入ってみてもよいかもしれません!

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出典:http://entabe.jp/news/gourmet/11395/cosme-kitchens-organic-restaurant-atre-ebisu

entabe.jp

おわりに・・

このようにオーガニック・有機野菜は他の野菜と比べると、安全面・栄養面で高い価値をもっているのは想像していた通りでした。しかし、化学や技術が発展する前、具体的には、自給自足を営んでいた時代、もともとわたしたち人間は、自然と一体していた生活を営んでいたはずですし、栽培するものすべてが今で言う、オーガニックと呼べるものであり、そもそもオーガニックという概念すら無かったのかもしない。

 

と考えると、複雑な話ですよね。

 

 

たどり着くところまでたどり着くと、

原点回帰に価値を見出すわたしたち。

 

 

発展、発達を追いかけて、行き詰まりを見せると

過去の栄光を取り戻そうとするお偉い人々たち。

 

 

どのようにものごとに価値を生み出すか、どのようにして価値を求めるのか。

そんな人間に通じるパターンをオーガニック野菜から少しばかり見える気がします。

 

原点へ戻ろうとする力により、次はどんなモノゴトの価値が高まるのでしょうか。

これからの”オーガニック”の姿がたのしみです。

『好きと伝えること=付き合いのはじまり』の固定観念。

人間関係ハック

告白して、もしも振られたら、関係はそれっきりである。

故に告白に踏み切れず。

 

やらない後悔より、やった後悔という言うけれど、やった後悔の方が致命的な予感。

故に告白に踏み切れず。

 

 

気づいたら、他の人と付き合っていることを耳にして、後悔の2文字。

 

 

『あああ・・あの時勇気振り絞って、言っておけばよかった・・』

 

 

そんな想いで、告白したい相手が今いるのだけれど、踏みとどまっている人、あるいは気になっている人がいて、ひそかに狙いを定めている人、さらには、すでに告白の時期を見逃してしまった苦い後悔の思い出のある方々すべてへの朗報です。

 

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朗”報”の字だけに、僕のナマナマしい体験談ではなく、身近な友人からの恋愛の教訓を自分なりの意見をまじえて紹介と提案をしてゆく内容になります!それは1のことだけ!

 

 

『好きと伝える=付き合いのはじまり』固定観念を打破せよ!

おそらく、今回の記事の冒頭で書いたように、一度告白して、断られたらそれっきりの関係になってしまうことを恐れてしまう人の数は、多くいる傾向にあるのではないでしょうか?

 

 

恋愛、愛情を見る価値観は、わたしたち日本人の中でも人それぞれに異なるのは言うまでもなく、国によってもまた違った傾向がうかがえるので非常におもしろいところであるのです。

 

友人(トルコ人)いわく、

 

 

好きならば好きって伝えるだけでいいんだよ。

(必ずしも彼はAKBファンであることを意味しておりません。一個人の見解です。)

 

 

この言葉が意味するのは、

特に日本人に限っては、『好きと伝えること=付き合いのはじまり』のような等号ば成り立つ傾向にあるのではないかということです。

 

 

たしかに、そうですよね。

『〇〇さんの、ココとココが素敵で、今までずっと好きでした。

僕/私でよければ付き合ってもらえませんか?』【やや典型例】

 

 

このような流れで一般に好きと伝えることから正式に付き合いの関係が成立するわけですが、イエスかノーか、保留かの答えをもらわなければいけないことを考慮すると、非常に勇気を必要とすることなのですよね。

 

それがまた恋愛の醍醐味なのかもしれませんが。しかし、好きと伝えるそれ自体に、成功や失敗のプレッシャーを含め、重たいように思えます。

 

 

ただ、ここで、

『〇〇さんの、ココとココが素敵で、ココとココはとても魅力的、自分の人間の芯をもっいて、誠実で正直者だし、笑顔も本当に素敵。好きですよ。』

 

 

「だから、付き合おうというわけではないんだけど・・」や「今はキモチだけ伝えたい気分なんだよね」など、緊張に張り詰めた雰囲気ではなく、笑いの交えた、和やかにフランクに伝えられることのできたら、理想であるはずです。

 

 

このように、率直に”好きな”想いを伝えることだけで、十分な時も多くあってもよいのではないでしょうか?なにもそこから、正式な付き合いをもうしこむことに強引にもっていこうとするのではなく、自身のその人に寄せているキモチのみを伝えるだけでよいのです。

 

 

 

好きだけ伝える。それに大きなメリットと理由があります。

  • 好きと言われて、嫌だと言う人は皆無!

自分自身の人間性を見てくれて、その光るところを発見してもらえるのですから、誰もそれを嫌う人などいないのです。もっと簡単な話、褒められて、それを拒絶する人なんているはずありません!

 

イエスかノーかの答えを求めてしまうからこそ、それ以降の関係に変化が生まれてしまうわけで、好きと伝えることのみでは、破綻や疎遠になってしまうことは、100%ありえないのです。

 

 

  • 返報の法則の発生!

人は誰しも、何か良い行いをされたら、お返しに何かを報いたいというキモチを潜在的に備えているのはご存知でしょうか?

 

この法則は恋愛になっても生まれ、誰かに自分のことを褒められて嬉しいキモチを抱いたのならば、そのキモチに応えるべくして、何かお返しの行動にでたいものです。

 

好きと伝え返してくれもかもしれませんし、付き合いの提案をしてくれる可能性もあるでしょう。

 

恋愛はギブアンドテイクが原則!どちら側からの一方的なギブや、それによる一方的なテイクの関係は余程のことがない限り、順風満帆にいくものではないでしょう。

 

 

 

もっと素直に率直に、好きと伝えられる社会の実現

 

好きと伝えることだけでは済まされず、リスクを背負ってこそ恋愛だろ!

好きと伝えただけで付き合わなければそもそも意味が無いだろ!

 

 

という意見をもつ人々も多くいらっしゃるのは承知の上であり、賛否両論はあるでしょう!

 

しかし、その友人の意見も参考にしながらですが、どうしても『好きと伝えること=付き合いのはじまり』の固定観念が、あまりにも強烈にわたしたちのアタマに焼き付いているが故に、自分の想いを素直に表現したいのに、できない社会になってしまっているのではないでしょうか。

 

 

若者の結婚願望の割合は高いと言われつつも、現在の恋人がいない比率の方が実は高い結果が表しているのは、こうしたひとつの背景が隠されているのではないでしょうか?

 

 

なかなか社会(すべての人々、その行動やその傾向)をどんでん返しすることは不可能かもしれませんが、もし『好き=付き合いのはじまり』のプレッシャーに包まれた先入観を取り払うことができたら、よりある意味での自由な恋愛も促進されるのでしょう。

 

 

PS:ちなみにその友人は、けっし悪い意味ではなく、恋愛のハードルは低いのだと思います。それだけフランクに想いを伝えられることは、チャラい男だからといわけでなく、 恋愛の上での褒め上手といったところでしょうか。結果として、彼はやはり人気ものですし、好きと気軽に表現できることから、多くのことを何か学び得ることができる気がします。究極的に主観と主観のぶつかりあう恋愛という土俵。それぞれの個々人の解釈にすべてをお委ねしますっ。

外食にかかる出費へのフラストレーションへの心がまえ

グルメハック

時間はあるけれど、お金が無い!!!!

大学生のあるあるのうちのひとつで、みんな苦し紛れになんとか生きてますよね。

 

しかし、なかなか毎日自炊をして、器用に節約をできる自信もなければ、

またどうしても友達付き合いなどで、外食に行く機会も多くあるはずですよね!

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これが、ただでさえ、財布がピンチであるのに、急な出費となるとメンタル的にも参ってしまうものです。お金=精神安定剤という別名もあるくらいですからね!

 

 今回は、想定外な出費の場面、もっと具体的に言えば、『外食にきて料理は美味しくて良いのだけど、自炊していた方が出費は抑えられたのになあ↓↓』と、どことなく、満足感に浸れないフラストレーション対策の心構え的な、メンタルハック記事になります。ではさっそくいきましょう!

 

外食=時間を買ったつもりになれ!!

どうしても外食になってしまうと、席に座って、美味しそうな食べ物をオーダーして、オーダーした食べ物が届くと、美味しそうな1枚をパシャリして、それらをいただき、ごちそうさまの後、お勘定、そして帰宅、という流れ!

 

食材の調達、それらの調理から、食器類の後片付けまでは、本来であれば絶対に避けては通れない工程ですが、外食にいたっては、1番美味しい部分、つまり、食べるだけ!!が、あらためて、許されているのですね!

 

 

ある意味で、そんな食材の調達、調理から片付けまでの工程を省いてくれる外食は、本来であれば消費していたはずの時間を買ってるといっても過言ではないでしょう!

 

 

そう思考転換することができれば、例えば、外食で1000円ほどかかったとしても、

調達、調理、片付け時間の約2時間を買っているつもりになることができ、『自炊しておけば、節約できたのになああ・・』と、狭苦しいメンタルをもつ必要もなくなってきます!☆

 

払っているのは料理だけではない!!

外食にきて美味しいものを食べても満足感に浸れない方!!

お金がかかっているのは、オーダーした料理だけだと思っていませんか??

 

 

上に書いた通り、時間を省いてもらう工程の中の調達、調理、片付けなどなど、それらを自分たちにやってくれる存在の人たちを、忘れてはいけないわけですね!

 

 

例えば、中華レストランに来たとしましょう。八宝菜、麻婆豆腐、杏仁豆腐、餃子、これらに使われている材料は、ここのレストランのスタッフさんたちが調達してくれたおかげで、食べれるのであり、片付けをしなくてよいのも、ここのレストランのスタッフさんたちのおかげであるのです!

 

 

当然、その中華料理を食べるために、”やってもらている”事柄ですから、その間にはお金が発生しますよね!

 

 

八宝菜にかかる費用は、チンゲンサイなどの原材料だけではなく、スタッフの人、厨房で料理してくれる人、また、その中華レストランの場所にかかっているお金(家賃)など幅広くあり、すべてすべて総括してその値段なのだと考える癖をつくってしまえば、『自炊の方が安く済んだのになああ・・↓』と、無駄に気分を下げてることがバカバカしくなってしまいますよね☆

 

技術料金もわすれてはいけない!

これは外食先にもよって変わってくるかもしればいですが、あたりまえのこと、一般の人がつくりあげる料理よりも、専門技術と経験を積んだ、コックさんが作った料理の方が質も高く、味も一流なはずですよね。

 

この調理師たちが築き上げた”技術”には、その目の前の料理だけでは見通すことが困難な、時間や労力、努力がふんだんに詰まっており、まさに結晶であるのです。

 

私たちはそんな”結晶”のひとつひとつの成分(労力・時間・努力)に対して、それ相応の価値を払ってゆかねばならないのはもちろんのこと。レストランでの料理の見た目と味だけでは、なかなか想像力を働かせることは難しいかもしれません。しかし、長い時間と多くの経験と試行錯誤の経て、今この料理を食べさせてもらっているのだと考えてみれば、ちょっと自炊より高くついてしまったからといって、ふてくされる必要なんて全くなくなるはずです!

 

 

以上で、学生の視点からの外食への価値観と、その出費が自炊よりも高くなってしまうことへのフラストレーション対策記事の内容でおおくりしました!外食ばかりかさねていても、その外食への有り難みも薄れてしまいます。気分転換やちょっとしたご褒美くらいとしての外食が1番ちょうどいいのかもしれませんね!!

好きなことの発見より、好きなことに変化させる工夫の施しの可能性【ピーマンと仕事】

仕事ハック 価値観ハック

『好きなことで生きる』、そんなキャッチフレーズを耳にするようになって歴史はまだまだ浅い世の中である。

 

胸に手をあてて、確信と自信とともに、今やっていることが好きで、それで生活が成り立っているという方はどのくらいの割合でいるのだろうか。現実には謎につつまれている。

 

 

一方で『好きなことで生きていない』⇒『生きるためにせざるを得ない』

そんな環境に身を置いている人たちはどのくらいの割合でいるのだろうか。

それもまた正確に割合を出すのは困難で、謎に包まれいる。

 

 

しかし、『好きなことで生きる』の言葉が”理想論”として語られるケースが多く見受けられることから、反意語の、”現実論”として『生きるためにせざるを得ない』と答える人たちの方が上回りをみせるのではないか。との推測から、今回の記事の幕をこじ開けよう。

 

 

単刀直入に結論から。

 

 

今ある”現状”、自身を取り巻く環境を好きになる工夫をすることこそが、

 

『好きなことで生きる』と述べることのできるようになるまでの現実的戦略である。

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これから述べてゆく内容は、現状の打破や変革を志すというよりは、むしろ、『未だに自身の真に好きなことを特定できない』と思い悩ませる私と同世代の人々へむけた私からの一方的なメッセージであるかもしれない。

 

 

というのも、こうしたキャッチフレーズが社会にあまりにも浸透しているが故、好きなことをやらなければ、見つけなければいけないという義務感、責任感からの病も同時に蔓延していると伺えるからである。

 

そして、あくまでも独自の視点を意識し、

今ある現状(仕事・学業etc)を好きになれる工夫の術を述べてゆきたい。

 

●”好きなこと”が好きでなくなる可能性

仮に”好きなこと”に思い当たる節があるとし、それを追い求め、職に繋げてゆきたいとするならば、そこには”好きでなくなる”可能性が潜んでいるということを始めに伝えたい。

 

当然のことながら、”好きなこと”と”できること”は異なる。

 

また、その”好きなこと”が社会的価値を有し、相応の対価を得られるのかどうかも新たな問題として浮上する。

 

 

簡潔に述べるなら、趣味と職業の違いであると理解できよう。

 

少ない例であるが、趣味としての料理、歌、スポーツ、釣りなどが存在することと同時に、職業としての調理師、プロの歌手、プロスポーツ選手、漁師が存在する。

 

 

”好きなもの”からその延長を突き詰め、職業として確立するためには、誰もが知る通り数多くの壁が立ち高る。趣味は自身の満足に浸るための行いであるのに対し、職業は自分以外の人々を満足に至らせるべき責任と義務が伴うからである。

 

 

現実に寿司を溺愛する者が、寿司職人を目指すが、現実としての厳しい修行の場と現実としての自身の実力に落胆してしまい、好きであった寿司が好きでなくなる可能性がある。それらは常に表裏一体の関係にあり、それはどの趣味から職業への架橋の段階においても潜む試練であろう。

 

 

つまり、好きなことの特定を目指す段階で、その”好きなこと”が”好きでなくなる”可能性が潜んでいることを留意すること。

 

 

次に、その”好きなこと”であろうものを継続して取り組むことで、社会的価値を有する潜在能力があるのか、またその社会的価値として受け入れられるまでの道筋を自分自身で描けるか否かが要となってくる。

 

以上を踏まえたうえでも、堅固な志を依然として有する者であれば、

彼ら彼女らを私は全力で応援する!!!!

 

●予期しなかったことが”好きなこと”になる可能性

本記事で最も強調しておきたい主張である。

また、好きなことを特定しなければいけない義務感や責任感からの解放の有効な手段である。

 

そもそも、”好きなこと”となる可能性とは、その仕事や学業に踏み入れることを予期していなかったり、あるいは、些細な好奇心のみがその分野に踏み入れる原動力であったり、とりわけ大きな関心を寄せていなかったが、蓋を開けてみると結果的に”好きなこと”となった状況と言えるだろう。

 

極端な例を述べると、嫌いなピーマンが好きになったような感覚とでもいえようか。

 

仕事・学業とは全く対象が異なるが、同じ論理の上にあげて考えることが可能であろう。

 

味も香りも食感も、過去においては憎かったピーマンをこれほどまでに好きになれる。

そこには、ただ1つ、好きになれる”工夫”が施されていたからである。

 

●好きなことにするための工夫

こうしたピーマンの論理は、仕事・学業にも適用可能であると考える。

どんなに興味がなく、どんなに大嫌いであったとしても、どんでん返しは起こりうる。

 

 

ピーマンが好物となった結果には、そこにおける好きになった状態までのプロセスにさまざまな工夫が施されていたのだと先に述べた通りであるが、具体的にはどのような工夫であろうか。

 

  • 細かく刻み、他の料理(チャーハンなど)に混入させる。
  • 目と鼻をつむり、なるべく五感を制御する。
  • 大好物なたべものと同タイミングに口へ運ぶ。

など、枚挙にいとまが無いはずである。いや、有ろう。

 

 

これを仕事のケースに当てはめてみたらどうであろうか。

 

例を1つ挙げるならば、

データ収集やリスト作成など単調でつまらなく、好きではなかった作業をも、好きなことへと変化させる工夫も可能である。

 

 

リストが埋まってゆくプロセスは、まるでポケモンのレベル上げてゆく作業に類似しており、ゲームのような感覚でサクサクコツコツと積み重ねて、ひとつの作業の完了へとたどり着く。

 

 

些細なキモチの持ち方ではあるが、好きなものを没頭している自分を想定しつつ、その感覚を今の作業に映し出すことが今回のケースの鍵ではないかと思える。

 

 

勉強においても、世界史登場人物らの名前を暗記することと、ポケモンの名前を暗記する作業自体には、対象が異なるだけであり、なんら大きな違いはない。

 

 

次第に、こうした単純作業が苦痛ではなくなり、最終的には大好きとは言えないまでも、好きと言える瞬間は訪れるのではないだろうか。

 

工夫の仕方次第で、どのような仕事内容であれ、好きなものへと変化させるポテンシャルは常に眠っているのである。

 

まさに、【ピーマンと仕事】理論である。

 

おわりに・・・

『真に好きなものを特定できない』それが故に、新たな仕事や学業に踏み入れることに躊躇いを抱く人々は少なくないはずである。

 

しかし、以上に見たように、好きなことが嫌いになる場合もあれば、好きでもなかったことが好きになる可能性は常に転がっている。

 

 

可能性の話として今回は踏みとどめておくが、また機会があれば、リアルな経験を交えながらも、【ピーマンと仕事】理論のより踏み込んだ立証を試みたい。

 

現段階で、好きなことを極めてゆきたいという者には覚悟を持ち挑み続けて欲しい。

 

現段階で好きなことに取り組めていない、あるいは見つかっていないという者には、それらを”好きなこと・もの”へと変えられる可能性を模索し続けてほしい。

 

 

あのピーマンが大好きなものとなったように。